給与明細を見て、「不満、ないな」と思ったことがある。前職にいた頃の話だ。
給料は世間並みにもらっていたし、休みも取れていた。人間関係も、腹の立つ日はあれど壊滅的ではない。それなのに、頭のどこかでずっと「なんかちがう」が鳴っていた。
条件に不満がないのに辞めたい。これ、口に出すとだいたい「贅沢だよ」と返ってくる。だから言えなくなる。言えないまま、モヤモヤだけが手元に残る。
「恵まれてるのに」で思考が止まる理由

辞めたい理由って、給料が安いとか、残業が多いとか、上司がひどいとか、「条件」で語られるのが普通だと思われている。退職理由の調査を見ても、上位に並ぶのはだいたい条件の話だ。
だから条件に不満がない人は、自分の「辞めたい」に根拠がない気がしてくる。理由を探しても見つからない。見つからないから「自分がわがままなだけかも」と結論づけて、思考を止める。
やっかいなのは、この悩みが社内で相談しづらいことだ。「給料安くてさ」なら同僚と笑い話にできる。でも「不満はないんだけど辞めたい」は、聞いた側も反応に困る。共有できない悩みは、自分の中でだけ膨らんでいく。
私もそうだった。給与明細を見て不満がないことを確認するたび、「じゃあこのモヤモヤは何なんだ」と振り出しに戻っていた。
正直、あの頃の私に足りなかったのは我慢ではなく、モヤモヤを分解する道具だったと思う。
採用担当として面接で聞いてきた、退職理由の本音
今の私はマーケティング支援会社で採用の仕事をしている。前職では人事として6年、面接で数えきれないほど「転職理由を教えてください」と聞いてきた。
その経験から言えることがある。面接の場で語られる退職理由は、調査の統計とはけっこう顔つきが違う。
「条件に大きな不満があったわけではないんですが……」と言いよどんでから話し始める人が、一定数いるのだ。給料でも休日でもなく、「このままでいいのか分からなくなった」という類の話。言いよどむのは、たぶん本人も「これは退職理由として成立するのか」と不安だからだと思う。統計の選択肢には収まりにくいから数字には出にくいけれど、面接室ではめずらしくもなんともない。
面接する側は、その言いよどみを責めたりしない。担当者だって一人の会社員で、似たモヤモヤに覚えがあることも多い。少なくとも私は、あの言いよどみが出るたびに内心「わかる」と思っていた。
そして採用側の本音を言うと、この退職理由は印象が悪くない。むしろ「条件が不満で」だけの人より、「今の環境では〇〇ができないから動いた」と言語化できている人のほうが、面接では強い。動機が条件なら、条件のいい会社が現れればまた辞める。動機が方向性なら、うちで実現できるかを一緒に確認できる。採用側はそこを見ている。
つまり「条件に不満がないのに辞めたい」は、恥ずかしい理由でも、わがままでもない。ただし、そのままでは面接で使えない。「なんかちがう」のままだと、聞いている側は判断のしようがないからだ。
落とし穴は「理由がない=動けない」という誤変換
ここに落とし穴がある。「条件に不満がない」を「辞める理由がない」に変換してしまうことだ。
この変換をすると、モヤモヤは塩漬けになる。1年後も3年後も、たぶん同じ給与明細を見て同じことを思っている。私の場合、モヤモヤの正体は成長の停滞感だった。仕事は回せるようになった。でも、この先の自分がだいたい想像できてしまう。それが退屈で、少し怖かった。条件の表には、この項目がない。だから探しても見つからなかったのだ。
一方で、見方を変えるとこの状況には強みがある。条件に不満がない人は、生活に追われて焦って転職する必要がないということだ。転職市場では、これはかなり有利なポジションになる。急いで妥協する必要がなく、「どっちの方向に動きたいか」という軸でじっくり選べる。
落とし穴(理由がないから動けない)を知っていれば、強み(焦らず軸で選べる)を使いこなせる。順番としては、辞める理由を探すのをやめて、動きたい方向を言語化する。それだけでいい。
明日できる、モヤモヤの分解

私が「あの頃やっておけばよかった」と思う順に書く。
① 紙に2列書いて、モヤモヤを仕分ける。 左に「条件への不満」、右に「それ以外」。私のように条件の列がほぼ空欄なら、右の列があなたの本命だ。条件の表に載らないものは、条件の表の外で探すしかない。
② 「3年後も今の仕事をしている自分」を一文で書く。 書いてみて、心が平らなら今は動くときじゃない。ざわっとしたなら、そのざわつきの中身(停滞感なのか、環境とのズレなのか)をもう一文で書く。私はこれをやらずに数年モヤモヤを飼っていたので、先に言っておきたい。
③ 言語化が一人で進まないなら、人に話す。 いきなり転職エージェントに登録する必要はない。軸が固まっていない段階なら、ハローワークのキャリアコンサルタントに無料で相談するという手もある。話しているうちに輪郭が出てくることは多い。
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条件に不満がないのは、動けない理由じゃない
「恵まれてるのに辞めたいなんて」と自分を責める必要はない。条件は満たされているのに満たされない何かがある、というだけの話で、それは条件とは別の場所に理由があるサインだ。
すぐ辞める必要はないし、辞めない結論になってもいい。ただ、モヤモヤを「贅沢だから」で蓋をするのだけは、やめておいたほうがいい。蓋をしても消えないことは、数年分の実体験から保証する。
まずは紙に2列、書くところから。それくらいなら、今夜できる。


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