内定の連絡をもらったあと、私は自分の口から年収の話をしなかった。
代わりに、エージェントに交渉をお願いした。理由は単純で、交渉の仕方に自信がなかったからだ。
いくらと言えばいいのか、どう言えば角が立たないのか、自分では組み立てられる気がしなかった。
それなら、そのノウハウを専門で持っている人に任せたほうがいい。
そう判断した。
結果として、希望は通った。
正直、拍子抜けした。
あんなに悩んだのに、通るときはあっさり通るんだな、と。
「言ったら印象が悪くなるかもしれない」で止まる
年収の話を切り出せない人の理由は、だいたい一つに集約される気がする。
金額そのものより、「金の話ばかりする人だと思われたらどうしよう」が怖い。
せっかく内定が出たのに、それをひっくり返されるくらいなら黙っていよう、という判断。
私もまさにそこで止まっていた側だ。人事を6年やって、採用の裏側もそれなりに見てきたはずなのに、いざ自分が候補者になると、同じところで固まった。
知識があることと、自分のこととして言えることは、まったく別だった。
そしてこの「黙る」判断が厄介なのは、黙ったことに損した実感が伴わないところにある。
提示された金額で入社してしまえば、それが自分の年収になる。
「あのとき言っていたら」の比較対象が存在しないから、後悔すらしづらい。
データで見ると、半分の人は言っている
ここで一度、数字を挟んでおきたい。
マイナビ転職が直近2年以内に転職した800名を対象に行った調査によると、転職時に年収交渉をした人は55.9%。
半数を超えている。
そしてそのうち、実際に年収アップに成功しているのは85.2%だった。
出典:マイナビ転職「転職による年収アップの実態調査」(株式会社マイナビ、2024年10月29日発表/調査期間:2024年7月30日〜8月5日/直近2年以内に転職した20〜50代会社員800名)
この調査では、同じ30代の年収アップ額の平均値が138.7万円と全年代で最も高いことも出ている。
30代は動かしやすいタイミングなのだと思う。
もう一つ、公的な統計も並べておく。厚生労働省の令和6年雇用動向調査では、転職した人のうち前職より賃金が「増加」した割合は40.5%、「減少」が29.4%、「変わらない」が28.4%。
増加が減少を11.1ポイント上回っている。
出典:厚生労働省「令和6年雇用動向調査結果の概況」(2024年1年間の転職入職者が対象)
つまり、市場全体としては上がる方向に傾いている。
そのうえで、交渉という一手を打った人の85%が動かせている。
この二つを並べると、「言わない」選択の位置づけが少し変わって見えてくる。
年収の相場そのものについては、30代の転職、年収アップは46%・ダウンは24%という現実のほうで年代別に整理しているので、自分の位置を確かめたい人はそちらも見てほしい。
採用側は、あなたの現職の年収を基準にしている

ここからは、採用担当として見てきた側の話をする。
企業が中途の提示額を決めるとき、出発点になるのは候補者の現職の年収だ。
ゼロから「この人にいくら払うか」を積み上げるわけではない。
今いくらもらっているかを起点にして、そこからどれくらい上げるかを考える。
そして、その「どれくらい上げるか」を決めているのは、候補者の実力だけではない。
すでに在籍している社員とのバランスだ。
同じ等級、同じ役割で働いている人がいる以上、新しく入る人だけを大きく飛び越えさせるわけにはいかない。
ここが動かないと、金額も動かない。
この構造が意味するところは、たぶん二つある。
一つは、提示額は「あなたの価値の採点結果」ではないということ。
低めに出たとしても、それは社内の並びの問題であることが少なくない。
自分が安く見積もられた、と受け取る必要はない。
もう一つは、バランスの範囲内なら、動く余地は本当にあるということ。
企業側も一発で上限を出しているわけではない。
ちなみに、私自身が採用担当として候補者から金額の交渉を受けたのは、1〜2回だ。
6年やって、その程度。
逆に言えば、多くの人は何も言わずに承諾している。
ぶっちゃけ、言ってくる人は珍しかった。
そして、言われたことで印象が悪くなったかというと、そんなことはない。
金額の相談が来たからといって、社内で「この人はやめよう」という話にはならなかった。
むしろ、条件を確認せずに承諾されるほうが、入社後に「思っていたのと違う」が起きやすい。
「交渉」より「確認」だと考えると動きやすい
とはいえ、交渉という言葉が重すぎるのだと思う。
値切るとか、押し切るとか、そういうイメージがついてまわる。
私が実際にやったのは、そういうことではなかった。エージェントに希望を伝えて、それを企業に確認してもらった。
ただそれだけだ。
勝ち負けの場ではなく、条件をすり合わせる工程だと捉えたほうが、実態に近い。
ここで、できることとできないことを分けておく。
動きやすいもの
- 提示額が求人票のレンジの下限寄りだったとき、そのレンジ内での調整
- 現職の年収を裏づけできるとき(源泉徴収票・給与明細)の引き上げ
- 金額が動かない場合の、等級や見直し時期の確認
動きにくいもの
- 在籍社員の水準を明確に超える金額
- 根拠なしの「もう少しほしい」
- 承諾したあとの蒸し返し
この線引きを知っているだけで、言い方はだいぶ変わる。
無理なことを頼んでいないと自分で分かっていれば、切り出すハードルは下がる。
明日からできること

1. 源泉徴収票を手元に出しておく
交渉の材料は、意外と気持ちではなく書類だ。
現職の年収が起点になる以上、正確な数字を自分が把握していないと、そもそも希望額を組み立てられない。
私も「いくらと言うか」で止まったが、止まっていた原因の半分は根拠を用意していなかったことだった。
2. 求人票のレンジの下限と上限を書き出す
提示額がレンジのどのあたりに位置しているかを見る。
下限寄りなら余地がある可能性が高いし、上限に近ければ金額以外の条件に話を移したほうが早い。
ここを見ずに交渉すると、的外れになる。
3. 金額が動かないときに何を聞くかを、先に決めておく
「上げられません」で会話が終わってしまうのがいちばんもったいない。
等級はどこか、次の見直しはいつか、評価は何で決まるか。
ここまで聞けていれば、入社後の見通しが立つ。
私が転職前に聞いておけばよかったと感じたことは、転職してわかった「聞けばよかった」ことのほうにまとめている。
4. 自分で言うのがしんどければ、エージェントに任せる
これは私がやった方法そのものだ。
自分の口から金額を言うのが無理だと思ったら、代わりに言ってもらえばいい。
交渉のノウハウは向こうのほうが持っている。
ただし、エージェントは万能ではないので、任せ方は選んだほうがいい。その話は転職エージェント、任せたら後悔するに書いた。
そして、そもそも「その内定を受けるかどうか」で迷っている段階なら、年収交渉より先に整理すべきことがある。
そちらは内定を決められない30代へを読んでからのほうが順番としては早い。
言えなかった自分を責めなくていい
私は自分の口では言えなかった。人事をやっていたのに、である。
でも、言えない自分をなんとかしてから交渉しよう、とは思わなかった。
言えないなら、言える人に頼めばいい。
そう切り替えたら、あっさり通った。
年収交渉は、性格の強さで決まる話ではないと思う。
根拠を用意できているか、動く余地がどこにあるかを知っているか、それだけだ。
黙って承諾するのが悪いわけではない。
ただ、黙る前に一度だけ、確認してみる価値はある。
よくある質問
Q. 年収交渉をすると、内定を取り消されることはありますか?
私が採用担当として見てきた範囲では、金額の相談が来たことを理由に内定を取り消したケースはなかった。
企業側にとっても、条件を確認せずに承諾されて入社後に不満が出るほうが困る。
ただし、承諾後に蒸し返す形は避けたほうがいい。
Q. 交渉のタイミングはいつがいいですか?
内定が出てから、承諾の返事をする前だ。
承諾してしまうと条件は確定するので、そこから動かすのは難しくなる。
逆に、選考の途中で金額の話ばかりを前に出すのも噛み合わない。
Q. 提示額が思ったより低かったのは、評価が低いということですか?
必ずしもそうではない。
企業は候補者の現職の年収を起点にし、そこからの上げ幅を在籍社員とのバランスで決めている。
社内の並びの都合で低めに出ることは普通にある。
年代別の相場感は30代の転職、年収アップは46%・ダウンは24%という現実で確認できる。
Q. 自分で言えない場合、エージェントに任せても大丈夫ですか?
私はそうした。
交渉の進め方は向こうのほうが慣れているので、任せること自体に問題はないと思っている。
ただし希望額とその根拠は自分で用意しておかないと、伝わるものも伝わらない。
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出典・データ一覧
- マイナビ転職「転職による年収アップの実態調査」(株式会社マイナビ、2024年10月29日発表/調査期間:2024年7月30日〜8月5日/WEB調査/直近2年以内に転職した20〜50代会社員800名)
- 厚生労働省「令和6年雇用動向調査結果の概況」(厚生労働省、2025年公表/調査対象:令和6年1年間の転職入職者)


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